2013年2月14日木曜日

存在の認識と関係性ーーーヘンリーダーガ

もしこの世界に自分以外誰もいなかったら、何もなかったら、自分は自分の存在を認識する事ができないんじゃあないだろうか。。。

自分の存在というのは関係性によってなりたっていると思う

誰かとはなす。眼を合わせる。触れる。衝突する。分かり合う....

そのような関係の中で自分の存在というのを認識する事ができる


僕は都合上、ほとんど誰とも会わずに、話さずに、一人きりで作品制作に向かう事が多い
一つの場所で朝、昼、晩を幾度となく過ごすと、今日も昨日も無くなっていく、自分の存在というモノはその繰り返しのループの中に溶けて無くなってく。

その反面、生み出される作品の存在が強くなっていく。作品を生み出すその空間には自分はもういないのだ。

あるのは、日に日に存在感を増していく作品達。

さすがに、この状態が2週間なり3週間なり続くとなんというか精神と身体のバランスがおかしくなってくる

それで、場所を変えてみたり、誰かと会ってみたりする。
そして他人という別の存在と相対すると、少しづつ自分の存在が戻ってくる。日常に色がついてくる。

その繰り返しだ。

以前も少し取り上げたがヘンリーダーガという人物の気持ちが僕は少し分かる。
彼は一生、友達を作ることも無く。女性と関係を持つ事も無く。日常の時間の流れに溶けて自分だけの世界に入り込んで、その世界でずっと生き、15000ページにおよぶ物語を書き、そして死んでいった。

彼は実は幸福だったんじゃないだろうか




彼の物語の中で現実世界のなによりも存在感を持った、不思議な仲間達の中でその世界を構築する者として存在し続けた

結局彼が死んでから全ての作品が発見され、今現代で注目されている。。。


僕は確実に彼のようには生きれないし、その生き方を幸福だとも思えない。
がしかし、モノ造りを志すモノ、自分の世界の中で何かを構築しようとする者にとっては彼の在り方というのは繋がるところ、解るとこが必ずあると思う

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