海外ではのこぎりを「押して使う」
この一つの道具に対する、使い方で着目する点は、
① 自分を起点にして世界に働きかけ、変化をもたらす方向性なのか、
② 外側から自分の方に引き寄せる求心的な運動によって世界と関係性を築いているのか
という違いである
それは自己と世界(他者)との関係性をいかに築くかという問題であり、自我の形成に決定的な差異を生み出す
また日本後の文章にはよく主語が欠落しているが、これも、みずから、主体を規定せず他者や状況に想定させる事を期待するからである
このことから日本の文化は外部から引き寄せる運動によって少しずつその輪郭を形成していく節があると思われる
日本人の生み出す美についても、そのような傾向が見られる。
「アナロジー」すなわち表面的には異質なもの同士を結びつける能力、日本人はそれに非常に長けている
ある異質な体験に触れたとき、その体験に対して自己との違いを見出して、線引きをする
これは西洋文化の思考方法に多く見られ「別化性能」と呼ぶ
一方、その異質な体験に対して、類似性や共通性を見出し互いの関係性や結びつきを強化しようとし、モノゴトの線引きや分け隔てを設ける事には疎い
これは日本文化の思考方法に多く見られ、「類化性能」と呼ぶ
日本人はこの類化性能の思考によって、異質なものと内側の感情や記憶と照らし合わせ「見立てる」そして新たなイメージを生み出す事に特化している
僕の作品にも「炎天華」という「ニワトリ」と「華道」を類化性能の思考によって。組み合わせ生み出されたモノがある。
また日常の中でも、モノゴトに対する意見が対峙する時、そこに無意識に共通点を見つけ出し、ミックスして、新たなもっとおもしろい考察が生まれないかと思考するクセがある
このように、僕は根っから日本人的な類化性能思考の持ち主のようだ。
この思考方は、使い方を間違える、もしくは度がすぎると、何も生まれない。もしくは幽霊のような存在しか生み出されない。
非常に強いバランス感覚とある瞬間に置ける決定する意思の強さが必要である。
しかし、様々な異質な文化がこの世界には存在し、また新たに生まれている、その一見異質に見える文化やモノゴトを、まるで錬金術のような無限の組み合わせによって、そこには無限の可能性が広がっている。