2013年3月4日月曜日

意味の存在する点について

「私は無である、そして私は作動している。アート、広告、商業、あらゆる分野で私は操作的だ。いや操作性そのものだ」

と言いはなち、アメリカのいや全世界のアートシーン、アート市場に強烈な影響を与えたのは、かの有名なアンディウォーホルである

彼の作品は著名人の大量に印刷されたポートレートであったり、日常の中で消費されていくモノを表舞台にひきずりだした作品であったりする



そのイメージの連続性という見せ方によって間違いなくその時代の価値観、モノの見方をがらりと変えた

そしてアートのモノ自体の意味性を消し去り、そのイメージと秩序の書き換えによってデュシャン以降のアートという概念、見方、流れに対し大きな変化を生み出した

このような「「シュミレーションアート」」はとてつもなく大きな流通を生み出し、強い影響力を持った


そしてウォーホルが死に、今現在のアート市場にもこの影響は強く残っている
得にニューヨーク、ロンドン等アートの中心といわれる地において

アートを生業にしようとする時、このようなアートの流通という点に対して無視はできないのかもしれない

しかしながら、その影響は残りながらも、モノ自体の意味性の無さを許容し続けていられる程人間のアートに対する欲望は軽いものではなく、そのモノ自体の意味性はもちろんの事、その周りにうずまく思考、哲学、特異な視点、が共存していないと、最前線では戦えない



もっと知識がいる。

「知らない」から、「いらない」ではなく、知った上でそこから独自の視点、隙間、より良くするための展望を発見し、それをカタチにしていかなければならない

今年中に自分の環境が大きく変わる。

そこで、またゼロになった気持ちで学ぼうと思う。カタチにしていこうと思う

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