小さい頃ファミコンの画面の中で見ていた平面的な映像は、今やハイパーリアリティを持った世界を構築し、その中で自由に動き回ることができる
プロジェクターの技術もどんどん進化し、最近では3D投影という、あたかもそこに人がいるような映像を空間に造り出す事まで、できるようになった。
この速さで10年20年とたった先には、いったいどんなテクノロジーが生まれているのだろうか
一方、そんなデジタル、オートマティックな時代に反して、僕はこつこつと時間をかけて手でモノを作っている。
現代のテクノロジーは足し算を繰り返し、隙間を埋め、スピードを上げ、蓄積され完璧なテトリスのように積み上げられた技術だ
それを目の前にすると、アっと驚かされ、そこに作り上げられた世界に見入る事ができる
そこには現実とは別のテクノロジーで埋め尽くされた仮想現実がある
そんなテクノロジーの進化にある現代においても、今だに手によって生み出されたモノを求めようとする自分をはじめ、それを見ようとする人々の求めるものは何なんだろうか?
おそらくそれは、
「想像力」である
「想像力」は「不在」の中に存在する。
足し算で埋め尽くされた完璧な世界では本来の人間の持つ想像力を発揮する事はできない、いや、する必要がないのだ、向こうからやってくるものにただ身を預ければいい
しかし、足し算と引き算を繰り返し、不在の空間を与えられたモノには、次元を超えて「想像」または「幻想」という無限の宇宙へコネクトできる扉が存在する
何十年、何千年とたとうが、どんなにテクノロジーが進歩しようが、人間は人間である
元来その想像力という神秘な能力を使い、生存してきた人類は、やはりその能力を発揮する事をどこかで望んでいるのではないだろうか
ハイパーテクノロジーで作られたモノは美しいかもしれない、完璧かもしれない
しかし、それは有限である気がする、流行のように、消費され忘れ去られていくだろう
僕は人間の手が生み出すチカラを根拠も無く信じている。
人間の手は凄いんだ。無限の宇宙と繋がれる「扉」を作品というカタチの中に生み出す事ができる神秘的なものだ
何度も何度も足したり引いたりを繰り返し、諦めずに信じる事で有限ではない、無限の幻想の世界を生み出す事ができるのだ