2013年2月21日木曜日

円空   時代を越えるもの

少し前に親しい友人と会い。あーでもないこーでもないと話していた。
その会話の中で、その友人は

「自分はこの時代に生まれてくるべきではなかった」

なんて事を言った。

僕は少々カチンときて

「何を言ってるんだ!こんな時代もあんな時代も無い!生まれてきたこの時代がお前の時代じゃ!遠い昔のあの感じィーーーとか、もっと未来のこんな感じィーーーとか言ってんじゃないわ!たわけ!

そんな事言うのは、今、自分の目の前にある、やらなあかん事とか、乗り越えなあかん事を見ないふりしてるだけやわボケカス!

何か今の時代と自分の歯車が合ってないと感じるのは自分に何かが足りてないか、世の中を見る視点が偏り過ぎてるだけやわ!

どんな時代も人間なんてそんな変わらん!
メディアが「流行」とか言って変わってるように見せてるだけや

いつの時代も人間が求めている美しいとか嬉しいとか悲しいとかそういう心は一緒やわ!
解ったか!あほんだら!」

なんて勢い余って言ってしまったが、ホントにそう思っている。

「円空」が僕は好きだ。最近も東京国立美術館で展示があって見てきた。
そこではめったに見れない秘仏があってその純粋なカタチに心から美しいと思った

はっきし言って円空さんは彫刻が下手だ。カタチなんてほんとに大した事ないし、眼鼻口なんてお前これ5秒でピっピっピってやっただけやろ。。。裏なんぞ鉈で一割したそのまんまやし。もうちょっと彫ったら?って思う。

だがしかし、僕は円空が好きだ。いやみんな好きだ。
つまりそんなカタチがどーとか眼鼻口がどーとかではないのだ。
円空さんは死ぬまでに12万体の仏を彫ったと言われる。
何故かっていうと人々の祈りのためだ救いのためだ

だから円空仏はみんな笑っている

それが江戸時代から現代まで人々の心を打ち続けている。

そーいう事だ。人々の心に残り、大切に大切にされていくものは時代なんて関係ない
表面上の流行に翻弄されて消費されて忘れ去られていくような生き方をしてはいけない。

まーしかし確かに現代という時代は必要ない情報がいやでも眼に入ってくるし、その情報の渦に簡単に飲み込まれる事もある

だから、そのカオスな中でも自分の大切にしてる気持ち、価値観、美意識を強く持たないとだめだ、というか、いくら多くの情報があっても結局、自分の中に残るのはその意識に通ずるものだと思う


ちなみに円空さんは岐阜の人だ。岐阜の洞戸に円空記念館がある。そして郡上や高山には道を歩けば円空にぶつかると言えるほど円空がある。

僕が木を彫っているのも何かしらの「縁」ならぬ「円」なのかもしれん



0 件のコメント:

コメントを投稿