ジョゼフ コーネルという1930年から66年頃までアメリカはニューヨークの街でアーティストとして活躍した人物がいる
彼の作品は箱の中に古道具屋などで見つけてきたモノを様々な組み合わせで入れ、彼の哲学や感覚を表している
「箱」という区切られた空間の中にコーネルがいなければ出会わなかったであろうモノ達を並べる。
レディメイドとも言えるこの手法によって生み出された作品からは、ある種、祈りのような宗教的な感覚を感じる。
写真、ボール、リング、鉄の棒、etc....
それぞれに含まれる意味や存在価値、それらを合わせる事によってまた違う意味や哲学を生む事ができる。
ジョセフコーネルは「10セントショップの錬金術師」と呼ばれたが、別々の物と物を意味と意味を組み合わせる「哲学、思想の錬金術師」とも言えるのではないだろうか。
2013年2月7日木曜日
内側の宇宙
作り手の提示したイメージと、見る者の持つイメージが組みあわさった時に第三のイメージが生まれる。そのイメージは呪術的な神秘的なチカラを持つ事がある。
芸術とは何かを生み出す事で、何者かになろうとし、又、現実世界とは違う何処かに行こうとする意思の表れである
その意思が他者とのコンタクトを持った時、イメージという神秘的とも言える宇宙が頭の中に広がり始める
ひきこもりの王様ヘンリーダーガは一生の時間の多くを部屋の中で過ごし彼だけの世界を作り上げその世界の中で生きる事を求め続けた。
彼はある日、自分の内側に生まれた宇宙の中に引き込まれ魅了され、そこから帰ってくる事ができなかったんだろう
イメージの魔力は人の行く末を変えてしまう
僕もそのチカラに魅了され、自分の中の宇宙を旅する事に魅了された人間だ
でも僕は幸か不幸か戻ってこれる
行ったり来たりを繰り返し、その変化を楽しみ、時にその変化のジレンマに苦しむ
それでも、造り続ける事でしか前に進めないのだ
芸術とは何かを生み出す事で、何者かになろうとし、又、現実世界とは違う何処かに行こうとする意思の表れである
その意思が他者とのコンタクトを持った時、イメージという神秘的とも言える宇宙が頭の中に広がり始める
ひきこもりの王様ヘンリーダーガは一生の時間の多くを部屋の中で過ごし彼だけの世界を作り上げその世界の中で生きる事を求め続けた。
彼はある日、自分の内側に生まれた宇宙の中に引き込まれ魅了され、そこから帰ってくる事ができなかったんだろう
イメージの魔力は人の行く末を変えてしまう
僕もそのチカラに魅了され、自分の中の宇宙を旅する事に魅了された人間だ
でも僕は幸か不幸か戻ってこれる
行ったり来たりを繰り返し、その変化を楽しみ、時にその変化のジレンマに苦しむ
それでも、造り続ける事でしか前に進めないのだ
夢と幻の交換場
ミニチュアは哲学をするのにはもってこいの題材になりうる
そこには無限の想像、妄想を繰り広げることできる
子供はその自分だけの世界を容易にいたるところにつくりだす
ジャコメッティの「午前4時の宮殿」という彫刻、何本かの棒を使いすきまだらけの骨組みを組んだだけの作品で、神秘的なタイトルがそれを心にとり憑く忘れがたいものにしている。
これは自分が恋している女性と一緒に住むための夢の家だと彼は言った。
これは子供なら理解できる夢だ。その夢のなかで、モノは名前を変えられ、想像の生を付与される。小石が人間になる。たがいに寄りかかった2本の棒切れが家になる。その世界の中で、人は別人になるゲームを演じる。
僕が作品を通してやりたい事はこんなような事を多く含んでいるかもしれない。
人を夢想に運ぶ乗り物を、どうやって造り出すか。見る者の想像力を富ませ、生涯にわたって伴侶となるようなモノをいかにして生み出すか。。。。。
そこには無限の想像、妄想を繰り広げることできる
子供はその自分だけの世界を容易にいたるところにつくりだす
ジャコメッティの「午前4時の宮殿」という彫刻、何本かの棒を使いすきまだらけの骨組みを組んだだけの作品で、神秘的なタイトルがそれを心にとり憑く忘れがたいものにしている。
これは自分が恋している女性と一緒に住むための夢の家だと彼は言った。
これは子供なら理解できる夢だ。その夢のなかで、モノは名前を変えられ、想像の生を付与される。小石が人間になる。たがいに寄りかかった2本の棒切れが家になる。その世界の中で、人は別人になるゲームを演じる。
僕が作品を通してやりたい事はこんなような事を多く含んでいるかもしれない。
人を夢想に運ぶ乗り物を、どうやって造り出すか。見る者の想像力を富ませ、生涯にわたって伴侶となるようなモノをいかにして生み出すか。。。。。
2013年2月5日火曜日
前に進んだり後ろに下がってみたり右見たり左見たり
岐阜に戻ってきて、また黙々と作品造りの始まりです。
最近は、とあるワンシーンや日常の中の何気ない風景に興味があって、その瞬間の感覚を彫刻として残せないかという試みをしてます。
この試みは今までやってきた1つのモノの中に色んなものを詰め込んで、出す!
というのとは、ちょと違くて、まずフィールドを造り、その小さな世界の中にイメージが生まれる情景をモノとモノの配置によて作り出す。というような作業。
大きな塊の存在感というのもチカラ強くて好きなんだけど、今やってるちょっとした要素の向きだとか距離だとかで、そこにものすごく微妙な感覚を生み出すような感じがとても心惹かれます。
未開の地へ踏み込んだ感じがいっぱいあって、探り探りだけど不安とワクワクがあり良いモノが生まれそうな予感がある
何を作るか?というwhat。。どのように作るか?というhow。。
この2つの作品へのアプローチの違いはアートという歴史の中で生まれてきたアーティストならばおそらく多くの人が気にしてしまうポイントだと思う。
でも、それと同時にもっと自分の心の奥底の声に耳を傾けて、心から造りたいもの、表現したい感覚を掴んで離さない事が大事だと思います。
今はインターネットがあって情報がホントにたくさんたくさん入ってくる、これはとても便利な事だけども、あんまりあれこれ情報が入ってくると、自分は何を見たいのか?何をしたいのか?がよく分からなくなってくる。
その度に頭の中を整理して、モヤモヤしてる事を言葉に置き換えたり人に話したりして確認する。
そーやって前に進んだり後ろに下がってみたり右見たり左見たりして、でも全部と繋がっているような感覚のあるトコロを目指して僕は今日も生きてます
最近は、とあるワンシーンや日常の中の何気ない風景に興味があって、その瞬間の感覚を彫刻として残せないかという試みをしてます。
この試みは今までやってきた1つのモノの中に色んなものを詰め込んで、出す!
というのとは、ちょと違くて、まずフィールドを造り、その小さな世界の中にイメージが生まれる情景をモノとモノの配置によて作り出す。というような作業。
大きな塊の存在感というのもチカラ強くて好きなんだけど、今やってるちょっとした要素の向きだとか距離だとかで、そこにものすごく微妙な感覚を生み出すような感じがとても心惹かれます。
未開の地へ踏み込んだ感じがいっぱいあって、探り探りだけど不安とワクワクがあり良いモノが生まれそうな予感がある
何を作るか?というwhat。。どのように作るか?というhow。。
この2つの作品へのアプローチの違いはアートという歴史の中で生まれてきたアーティストならばおそらく多くの人が気にしてしまうポイントだと思う。
でも、それと同時にもっと自分の心の奥底の声に耳を傾けて、心から造りたいもの、表現したい感覚を掴んで離さない事が大事だと思います。
今はインターネットがあって情報がホントにたくさんたくさん入ってくる、これはとても便利な事だけども、あんまりあれこれ情報が入ってくると、自分は何を見たいのか?何をしたいのか?がよく分からなくなってくる。
その度に頭の中を整理して、モヤモヤしてる事を言葉に置き換えたり人に話したりして確認する。
そーやって前に進んだり後ろに下がってみたり右見たり左見たりして、でも全部と繋がっているような感覚のあるトコロを目指して僕は今日も生きてます
2013年1月22日火曜日
おひさしぶりです
もうほったらかしにしすぎて、ログインのパスすらも忘れかけてたこのブログを再開します
これからは頻繁に書くのである(多分。。。)
数日前から東京に来ていて、今日はメインの用事である文化庁海外派遣の2次面接へ行ってきました。
1ヶ月程前に1次通過のお知らせをいただいて、まーそっから緊張と不安とで、面接が夢にまででてくる始末でした。
これまで、きっちりした場所できっちりした格好して、ガチのお話を面接というカタチでした事が無い私は、制作の手も止めて、イメージトレーニングの毎日。。。
しかし、今回のような機会はホントにありがたく、今現在の自分、派遣先に行ってからの未来の自分に対して自分の奥底にある思いや、原点を深く考えるとても良いきっかけでもありました。
表現をしながら生きるというのは、現実の世界で起きてるモノゴトにアンテナを張りながら、いつも自分の奥の方にあるものを掘り起こし、考え、そしてそれをカタチにするというプロセスがとても大事だと思います。
アーティストというのは、顔の代わりに鏡を持ってる人なんじゃないかと思います。どこまでいっても自分は自分でしかないんだけど、共有しているこの地球の中で、国や人種を問わず共感できるものは必ずある。そんな感覚をカタチにできたら素敵な事だと思います。
僕の作品は誰かの「鏡。」
それを見てくれた人達の目に映るモノは、その鑑賞者自身の生きている中で感じる思いであったり風景だったり。カタチの向こう側に「何か」を感じてしまう。そんな作品を生み出していきたいのです。
アーティストというのは、顔の代わりに鏡を持ってる人なんじゃないかと思います。どこまでいっても自分は自分でしかないんだけど、共有しているこの地球の中で、国や人種を問わず共感できるものは必ずある。そんな感覚をカタチにできたら素敵な事だと思います。
僕の作品は誰かの「鏡。」
それを見てくれた人達の目に映るモノは、その鑑賞者自身の生きている中で感じる思いであったり風景だったり。カタチの向こう側に「何か」を感じてしまう。そんな作品を生み出していきたいのです。
2011年6月17日金曜日
時間
時間が流れている という
しかし そもそも時間の流れは何によってつくられているのだろうか?
例えば、そこにいたくないのに、そこにいなければいけない状況の時、時間はちっとも過ぎない
それはそこにいる事自体に興味が無くて、頭が働かない、働かせたくない、そんな状況
だけど、そこにいる事が楽しくてしょうがない時、時間は早い、意識が全力でその空間、時間を感じようと働く。
つまり時間の流れは意識によって加速したり減速したりするのだろうか
今を意識する事、その瞬間瞬間を意識する事によって時の流れが速くなる
今ではなく今よりもっと先の時間を意識している、つまり今の状態と意識してる時間帯がずれていると時間は遅くなるのか
じゃあ、過去の時間を意識し続けたならば時間は巻き戻るのか
いやそもそも過去の時間を意識し続けるなんて事が可能なのか、
難しい
しかし そもそも時間の流れは何によってつくられているのだろうか?
例えば、そこにいたくないのに、そこにいなければいけない状況の時、時間はちっとも過ぎない
それはそこにいる事自体に興味が無くて、頭が働かない、働かせたくない、そんな状況
だけど、そこにいる事が楽しくてしょうがない時、時間は早い、意識が全力でその空間、時間を感じようと働く。
つまり時間の流れは意識によって加速したり減速したりするのだろうか
今を意識する事、その瞬間瞬間を意識する事によって時の流れが速くなる
今ではなく今よりもっと先の時間を意識している、つまり今の状態と意識してる時間帯がずれていると時間は遅くなるのか
じゃあ、過去の時間を意識し続けたならば時間は巻き戻るのか
いやそもそも過去の時間を意識し続けるなんて事が可能なのか、
難しい
2011年6月13日月曜日
時を越える
造ること、描くこと、話すこと、動くこと、見ること、聞くこと、歩くこと、走ること、食べること、笑うこと、泣くこと、叫ぶこと、黙ること、働くこと、ボーっとすること、感じること、出会うこと、好きになること、別れること、上を向くこと、こと、こと、こと
いろんなことがいっぱいある
全部が必要なんだ!と思うこともあるし
全部が消えてなくなってしまえばいい!なんて思うこともある
できれば、全部を受け入れて生きて いたい
いつでもそうなれるように、僕は今できることを
精一杯やろうと思う
たまに、時間の流れの速さに恐怖を覚えて小さくなったり、震えたり。。。。
でも、そーじゃなくて、僕にとって、「あ、今、時間を通りすぎたな。」って思う時は、目の前にある出来事と僕の心が一体になって、実感を覚えた時だけだ
いろんなことがいっぱいある
全部が必要なんだ!と思うこともあるし
全部が消えてなくなってしまえばいい!なんて思うこともある
できれば、全部を受け入れて生きて いたい
いつでもそうなれるように、僕は今できることを
精一杯やろうと思う
たまに、時間の流れの速さに恐怖を覚えて小さくなったり、震えたり。。。。
でも、そーじゃなくて、僕にとって、「あ、今、時間を通りすぎたな。」って思う時は、目の前にある出来事と僕の心が一体になって、実感を覚えた時だけだ
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